リン・ワシントンLynn Washington

サンノゼ市立大学からインディアナ大学へ編入し[1]、卒業後の2000年に新潟アルビレックス入団。日本リーグ連覇に貢献し、2001-02シーズンにはチームメイトの平岡富士貴・庄司和広とともにベスト5に選ばれる。

2004年に退団後、フィンランドリーグのタピオラン・ホンカを経て、2005年に再来日し大阪エヴェッサに入団。背番号44。チームをbjリーグ初代王者に導き、初代MVPを獲得した。

2006-07シーズンも連覇に貢献しベストファイブに選ばれる。

2007-08シーズンは主将に就任。しかし、11月18日に守口市民体育館で行われた東京アパッチ戦で全治4ヶ月の重傷を負う。人生で初となる手術を受けた後、堺市金岡公園体育館で行われたライジング福岡戦で復帰する。手術前のダイナミックなプレーこそ取りもどせなかったものの、プレーオフでMVPを獲得し、大阪エヴェッサの3連覇に大きく貢献する。

2008年オフに選手が大幅に入れ替わり、チーム発足時からの所属選手はワシントンと波多野和也の2人のみになっていた。2008-09シーズンはチームの連覇はストップしたが、自身は2度目のbjリーグベスト5に選出される。2009年オフには波多野も埼玉ブロンコスへ移籍したため、発足時から在籍する選手はワシントンただ一人となった。同年9月、エヴェッサと契約を延長した[2]。

2011年1月、チームの地元、大阪で開催されたbjリーグオールスターゲームでMVPを受賞。

2011年10月15日、住吉スポーツセンターで行われた高松ファイブアローズ戦でbjリーグの選手として初めて通算5000得点を達成した[3]。

2012年1月、さいたまスーパーアリーナで開催されたbjリーグオールスターゲームで2年連続MVPを受賞。

2012年2月23日、妻が前年11月に乾燥大麻を密輸したとして逮捕された[4]。3月13日、大麻取締法違反容疑で逮捕された[5]。同月30日、不起訴処分[6]。翌月9日、大阪エヴェッサはワシントンの引退を発表した[7]。6月8日、大阪エヴェッサはワシントンの功績を讃えるため、大阪所属時につけていた背番号44番を永久欠番に指定した[8]。