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赤嶺 真吾あかみね しんご

2006年、FC東京に正式に入団[12][13]。シーズン当初はベンチ入りできずにいたが、徐々に途中出場の機会を増やしていった。プロ初ゴールはJ1第8節・千葉戦で記録。相手GKがこぼしたところを泥臭く押し込んだ。

2007年は、原博実監督から「使い続ければ二桁は(得点を)取れる」と期待を寄せられてはいたものの[14]、原は4-2-3-1の布陣を採用し、センターフォワードとしてルーカスを固定的に起用。これにより、途中出場の機会が与えられるのは2列目の攻撃的MFに限定され、赤嶺は練習試合で得点を重ねていたものの、ベンチ入りもままならなかった。しかし、第20節磐田戦で大敗したことをきっかけに、第21節柏戦からは赤嶺とルーカスが2トップを組む形での4-4-2に変更[15]。シーズン終盤には右膝外側半月板損傷により欠場したが[16]、スターティングメンバーに定着し[17]、前線からの果敢なプレスでチームを活性化[3]。FWの一角として存在感を示した。シーズン終了後入籍[1][18]。

2008年4月には、同月16日磐田戦及び19日川崎戦での連続得点など好調ぶりを見せ[19]、岡田武史率いる日本代表(A代表)候補合宿に初招集された[20]。この年の東京のFWは、赤嶺または平山相太カボレと組ませるという起用法[21] を基本としていたため、平山の起用が続いた時期には出場時間をやや減らしたが、カボレを左ウイングに配する3トップの布陣が採用されてからは、赤嶺がセンターフォワードに入り、サイドからのボールに飛び込む形で[22] 得点を量産[注 1]。公式戦18得点と結果を残した。シーズン終了後には神戸からの獲得オファーが報じられたが[24]、大晦日にFC東京への残留を表明[25]。

2009年は平山が復調、赤嶺は出場機会を減らしていたところ、6月に磐田から完全移籍での獲得オファーが届き[26][27]、約2週間後にFC東京残留を選択[28][29]。同年9月のFC東京対磐田では、赤嶺が終盤に殊勲の決勝点を挙げ、劇的な勝利の立役者となった。同月のカボレ退団以後は同年のナビスコカップ決勝戦などで先発出場し優勝に貢献するなど出場機会を増やしたが、昨シーズンの半分以下の5得点という苦しいシーズンとなった。

2010年は、城福浩監督から「ゴール前で一瞬でマークを外せるワンタッチゴーラーとしてのよさがある」など評価されながらも[30]、出場機会は昨シーズンよりさらに減少、中断期間にベガルタ仙台から獲得オファーを受け、「もっと試合に出たい」と[31][32] 8月に仙台へ期限付き移籍した[33][34]。