ルディー・ラルッソRudy LaRusso

大学を卒業したラルッソは1959年のNABドラフトで全体10位指名を受け、8年間を過ごすことになるミネアポリスレイカーズに入団。ルーキーイヤーから即戦力として活躍し、13.7得点9.6リバウンドを記録した。ラルッソの地元でもあるロサンゼルスに本拠地を移し、『ロサンゼルス・レイカーズ』に改名した1960年にはジェリー・ウェストも入団し、一時低迷していたレイカーズエルジン・ベイラーにウェスト、ラルッソと優秀な若手が揃った将来が嘱望されるチームとなった。

3年目の1961-62シーズンにはベルリン危機(英語版)でベイラーが一時的に軍に召集されたため、ラルッソには彼の穴を埋める役割を求められた。ラルッソはチームの期待に応え、初の平均ダブルダブルとなる17.2得点10.4リバウンドを記録し、初めてオールスターに出場した。チームも54勝26敗という好成績を収め、チームはプレーオフを勝ち抜き、NBAファイナルに進出。対戦相手はレイカーズにとって最大の宿敵であり、仇敵となるボストン・セルティックスだった。レイカーズは三連覇中の王者セルティックスを追い詰め、最終第7戦ではオーバータイムまでもつれたが、惜しくも107-100で敗れ、優勝はならなかった。レイカーズは翌年もファイナルに進出するが、またしてもセルティックスに敗れた。1シーズンを挟んで1964-65シーズンには再びファイナルに進出し、またもやセルティックスと対決。この時は大黒柱のベイラーが負傷でシリーズを全休してしまうアクシデントに見舞われ、再びベイラーの穴を埋める役割を求められたラルッソは奮闘するも、セルティックス相手にベイラー不在は如何ともしがたく、1勝4敗と完敗した。さらに翌1965-66シーズンもファイナルでセルティックスと相対するが、3勝4敗で惜敗し、やはり優勝はならなかった。

1960年代のレイカーズは6回のファイナル進出を果たす、ジョージ・マイカン時代以来の黄金期を過ごしていたが、しかしいずれもセルティックスの前に敗れるという苦い記憶の時代でもあった。ラルッソはこの時代のレイカーズに1959年から1967年の8シーズン在籍し、4回ファイナルに進出するが、ついに悲願の優勝も叶わぬまま、フィラデルフィア・ウォリアーズに移籍することになった。