リチャード・プレストン・カーライルRichard Preston Carlisle

1984年のNBAドラフトでボストン・セルティックスにドラフト指名され、入団。1986年のNBAファイナルで優勝してチャンピオンリングを獲得したが、カーライル自身はあまり活躍できず、1試合平均2.2得点、1.0アシスト、0.8リバウンドに留まり、1987年にチームから放出され、ニューヨーク・ニックスでリック・ピティーノ(英語版)の下、1987-1988シーズンを過ごし、1989年、ニュージャージー・ネッツで5試合プレーした。

ビル・フィッチ[2]やチャック・デイリーの下でスタッフとして5年間学んだ後、1994年にポートランド・トレイルブレイザーズのP・J・カーリシモヘッドコーチのもとでアシスタントコーチに就任した。その後、1997年に元チームメイトであったラリー・バードのアシスタントコーチとしてインディアナ・ペイサーズに加わった[3]。その年のペイサーズはチーム史上最多の58勝を挙げ、カーライルはオフェンシブ・コーディネーターとしてチームが躍進した要因の1つとなった[2]。チームはカンファレンスファイナルでNBAファイナル3連覇を狙うマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズを第7戦まで追い詰めた。